SSブログ

史の朋輩(1) [序叙]

 本篇に入る前に、しばらく無駄話に紙幅を費やす。
 それは「史のともがら」について、もしくは筆者の執筆姿勢にかかわるいくつかのことである。
 「ともがら」には朋輩という文字を当てる。
 そのような表現を思いついたのは、『研究史 金印』という書籍を読んだときだった。
 天明四年(1874)、筑前黒田藩那珂郡(現福岡県東区)志賀嶋から農作業中に偶然発見された「漢委奴國王」の陰刻五文字を持つ金印をめぐって、これまでに示された諸論を抄録しつつ、論点を明らかにしたものであって、よほどの知識と見識がないと書き著わすことが難しい。
 そこに描かれているのは、国学、古文書学、東洋史学、考古学、文献学あるいは小説の分野の歴々が、時代を超えて論争を展開している姿である。
 賀茂真淵、上田秋成、青柳種信、藤貞幹、片山蟠桃、伴信友、亀井南冥、本居宣長、松下見林、三宅米吉、那珂通世、内藤虎次郎、栗原朋信、喜田貞吉、橋本増吉、中山平次郎、斉藤忠、藤間生大、井上光貞、宮崎康平、安本美典、海音寺潮五郎
 といった名前の中に、読者にも馴染みのある幾人かが存在するであろう。
 彼らが展開する「時代を超えた論争」というのは、過去において示された論を踏まえ、そこに新しい知見を加える作業を積み重ねていることを指している。
 ときに突拍子もない想像であったり、焼き直しや引用であっても、一顧だにされることがなかった論を掘り起こすことで新しい価値を生み出すという作業が、わずか方2.3センチ、重さにして100グラム強の金属のかたまりから、この国の古代史を浮き彫りにする。
 ――そのようなプロセスを面白く感じるかどうか。
 という問いかけをしたうえで、本書を書くに当たっての姿勢を述べておきたい。
 まず記しておかなければならないのは、筆者は臆面もなく剽窃の行為を取るということである。自身が関知し得ない時代、関与し得なかった出来事、周知していない人々などについては、すでに存在する記録に依拠するか、聞きかじりを集約するほかに手立てがない。
 多くのインタビューによって形づくられる文字の列は、なるほどキーボードを叩いたのは筆者にほかならないにしても、筆者の行動、知識、体験ではない。となれば、すべからく広義の剽窃ということになる。



【補注】


tmpimg0907051458n1.JPG

『研究史 金印』 大谷光男著、四六判、216ページ、1974年7月初版、吉川弘文館。天明四年(1784)旧暦2月23日、筑前黒田藩那珂郡志賀嶋叶崎から農作業中に偶然発見された「漢委奴國王」の陰刻5文字を持つ金印をめぐって、これまでに示された諸論を抄録しつつ、論点を明らかにした。金印の発見状況と出土遺構に関する原資料、「委奴國」の読み方、金印の製法および中国古代印制から見た考察など、諸論を踏まえて論じている。


タグ:金印
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

-|史の朋輩(2) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。