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拡大する矛盾(2) [卷之六游魚]

〈井上準之助〉

 浜口内閣で財政を担当したのは井上準之助である。
 東大を卒業し日銀に入り、イギリスに留学後、1913年に外国為替取引を専門とする横浜正金銀行の頭取に就任し、19年日銀総裁を経て山本権兵衛内閣、田中義一内閣で蔵相を務めた。いかにも財政エリートの経歴を持つ彼は、長引く不況の原因が成金時代に膨れ上がった不良債権とインフレにあることを見抜いていた。加えて円の国際的な価値が下がった。
 1929年7月2日、浜口内閣の蔵相に就くと、井上はすかさず緊縮財政を打ち出した。歳入ではシーリングを強化し、国債の新規発行を3924万円減らし、一般会計当初予算17億7356万円の5.67%に相当する9165万円を削減した。彼には、軍備の縮小によって、国債発行額の圧縮と一般会計予算の削減が達成できるであろう、という予測があった。
 事実、ロンドン海軍軍縮会議で若槻礼次郎全権は、補助艦を含む日本の海軍の装備を対英米の約70%とすることで合意、条約に調印した。その前に開かれたワシントン軍縮会議でイギリスとアメリカは、日本の軍備を自国に対して60%に抑制するよう強く主張していたから、若槻全権が獲得した対英米7割という数字は健闘といってよかった。軍部は一応の納得を示し、かつ浜口内閣にとっては軍事費を圧縮できるので一石二鳥に思われた。
 次に彼は金保有高の確保・維持に手を打った。金融不安が起こるのは兌換性への不信が原因であって、通貨の価値を裏付ける十分な金が確保できれば為替も落ち着くはずだった。そのためには円に対する信用保証を取り付け、金の国外流出に歯止めをかけなければならない。国際経済の安定を図るには日本との共同歩調が必要、と判断したアメリカ合衆国は2500万ドル、イギリスは500万ポンドの信用保証枠を約束した。
 第三段階はインフレを抑制することだった。井上は金が経済に果たす「自然の自動調整作用」を信じた。金の保有量に応じて通貨の発行は制限され、おのずからインフレにブレーキがかかる。自然の自動調整作用が充分に働かない時は、日銀が公定歩合でコントロールする。すなわち金本位制の導入である。
 政府の動きから内外の投資機関は
 「日本の金解禁は間近」
 と見て、投資をドルから円に切りかえた。
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