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卷之六游魚 ブログトップ

代理店契約(1) [卷之六游魚]

 〈中山武夫〉

 『日本アイ・ビー・エム50年史』などによると、森村商事がコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング(CTR)社とホレリス式統計会計機械装置の東洋代理店契約を結ぶに当たっての立役者は水品浩という一個人であったかの印象を受ける。

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代理店契約(2) [卷之六游魚]

〈初の計算機展示会〉1926.11.09

 日本陶器に向けたホレリス式統計会計機械装置が到着した直後、逓信省の貯金局から引き合いがあった。続いて1926年6月に3菱造船神戸造船所が国内第2号ユーザーとなる契約を結んだ。

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代理店契約(3) [卷之六游魚]

〈銀座の三偉人〉

 機械の操作実演は水品が担当し、それぞれの機械装置の機能・性能、使用方法などを解説した。今でいう「プレゼンテーション」は、機械装置の性能や操作方法に力点を置かず、レンタル制度のメリットについて強く理解を求めるものだったという。

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代理店契約(4) [卷之六游魚]

 〈エリオット・ハッチ〉

 御木本、服部はともに典型的な明治立志伝中の人物だが、黒澤は一風変わっている。

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代理店契約(5) [卷之六游魚]

〈タイプライター〉

 タイプライターには余談がある。
 東京帝大の田中館愛橘のことである。

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黒澤村(1) [卷之六游魚]

〈高峰譲吉〉

 この黒澤という人物は高峰譲吉とも親交があった。
 高峰は消化酵素「タカジアスターゼ」、“興奮ホルモン”とも呼ばれる副腎髄質ホルモン「アドレナリン」などの発見で知られる。あるいはニューヨークの公園に、日本から持ち込んだ桜の木を植え、春になると〔サクラ・マツリ〕を催した。

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黒澤村(2) [卷之六游魚]

〈八城勘二〉

 黒澤は1909年(明治四十二)、東京・銀座の松屋デパート前に鉄筋コンクリート造・3階建ての、当時としては斬新なオフィスビルを自ら設計・施工して完成させている。「黒澤貞次郎商店」の名を「黒澤商店」に改めたのは、このときだった。

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黒澤村(3) [卷之六游魚]

 〈新工場〉

 震災からほどなく、日本銀行を窓口に1億円規模の「震災手形割引損失補償」が実施され、また周囲の励ましもあって、黒澤は再起を決意した。従業員総出で銀座の本社ビルを清掃し、内装を改め、並行して蒲田に自ら設計施工による新工場を再建した。

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黒澤村(4) [卷之六游魚]

 〈プレトマイヤー〉

 1926年12月、CTR社――正確に言えば、その2年前、CTR社は「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ」に社名を変更していた――の副社長プレトマイヤーが来日すると、森村市左衛門(開作)は代理店契約の打ち切りを申し出るとともに、黒澤貞次郎を紹介した。ニューヨークの中山が事前に根回しを済ませてあったと見えて、プレトマイヤーは責任契約高条項について「不問」とし、既存の日本陶器、三菱造船を含む全営業権を黒澤商店に譲渡することで合意が成立した。

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世代交代(1) [卷之六游魚]

 黒澤商店がホレリス式統計会計機械装置を扱った1927年から1937年にかけての世相を概観しておきたい。
 計算機の普及や利用技術を主軸にすえる本書からすると、この期間は、
 ――まことに奇妙な時代。
 と言うほかはない。

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世代交代(2) [卷之六游魚]

 計算機から眼を転じて、社会を眺めることにする。
 景気は好・不況を繰り返しつつ、下降する傾向を示していた。政治は明治以来の露骨な藩閥偏重が終焉して「民」主体の政党が政権を担ったが、次第に「軍」主導の構図が明らかになった。つまることろ、全体としての見通しはバラ色ではなかった。

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世代交代(3) [卷之六游魚]

 中華民国でも世代の交代をきっかけに政局が動いていた。
 1925年1月12日、孫文が北京で没した。享年59。
 広東省に生まれ、日本に留学して医者となった。ときの清王朝は有名無実に化し、中国は西欧列強はおろか、新興のアメリカや日本にも租借地を与えるありさまだった。これに義憤して「興中会」を組織し、のちに発展して中国革命同盟会が結成されている。

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意気揚々(1) [卷之六游魚]

 森村商事からホレリス式統計会計機械装置の営業権を継続した黒澤商店は、最初の年、つまり1927年から実績を上げ始めた。まずこの年の9月に海軍の呉造船所総務部、10月に同造船所会計部が相次いで契約を結んだ。次いで翌年1月に商工省、11月に内閣統計局からカードパンチ装置47台という大型契約を獲得した。この時期の黒澤商店は震災前の勢いを盛り返し、CTR社の統計会計機械装置にかかわる従業員たちは意気揚々だったに違いない。

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意気揚々(2) [卷之六游魚]

 契約が1件取れれば年間数千円の賃貸料が入ってくるうえ、消耗品であるパンチカードが間違いなく売れるのだから、これほど旨味のある商売はなかった。であればこそ黒澤は営業課長に据えた水品に裁量を任せることができた。

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意気揚々(3) [卷之六游魚]

 1928年(昭和三)の秋、黒澤商店に暁星中学を出た一人の若者が入社してきた。
 暁星中学といえば、1888年(明治二十一)8月に麹町区飯田町(現千代田区飯田橋)に開校を許可された私立学校で、その始めは明治初年、五人の宣教師によって築地の外国人居留地に開設された外国人学校にさかのぼる。昭和初期も同校は伝統を受け継ぎ、外国人も通う国際色豊かなハイカラな学校だった。
 青年はやや面長で、大人しそうな顔つきや物腰から、育ちのよさが見て取れた。

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2対1(1) [卷之六游魚]

 ホレリス式統計会計機械装置がカスタマーを失ったとき、パワーズ式PCSはどうだったか。
 意外なことにパワース式PCS、すなわち三井物産のカスタマーは減らなかった。

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2対1(2) [卷之六游魚]

 鉄道省は日米開戦とともに男子職員が徴兵されたため、1942年以後、その運用は女子職員によって継続された。だが1945年5月の空襲で機械装置およびパンチカードのほとんどが焼失してしまった。パンチカードとは、プログラムとデータそのものだったわけだから、戦災はすべてを灰にしてしまったことになる。そのうちの自動穿孔機、分類機、集計印刷製表装置が1台ずつ、大阪交通博物館に残っている。

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2対1(3) [卷之六游魚]

 黒澤商店によるホレリス式統計会計機械装置の営業が伸び悩んだ原因は、売り方の違いばかりではなかった。筆者は、日本の企業が構造的に持っていた経済基盤に問題があったのかもしれない、と疑っている。
 

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2対1(4) [卷之六游魚]

 『日本アイ・ビー・エム50年史』がこのあたりの事情をどのように表現しているか。それを見ると、非常に面白い。そこには次のようにある。

 初期において容易にカストマーが得られなかった理由は、のちの歴史が証明するところであるが、要するに大正末年の日本の企業にとって、タビュレーティング・マシンを中核としたIBMの高度なメカニズムは、あまりに進みすぎていたといってよく……。

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拡大する矛盾(1) [卷之六游魚]

〈山東出兵〉

 北川宗助が黒澤商店に入る前、まだ暁星中学の制服を着ていたときの話である。
 田中内閣は、山東省における邦人の生命・財産の保護を優先することに方針を変更、5月28日に歩兵第三十三旅団、さらに歩兵第八旅団の主力部隊が青島に上陸した。

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拡大する矛盾(2) [卷之六游魚]

〈井上準之助〉

 浜口内閣で財政を担当したのは井上準之助である。
 東大を卒業し日銀に入り、イギリスに留学後、1913年に外国為替取引を専門とする横浜正金銀行の頭取に就任し、19年日銀総裁を経て山本権兵衛内閣、田中義一内閣で蔵相を務めた。いかにも財政エリートの経歴を持つ彼は、長引く不況の原因が成金時代に膨れ上がった不良債権とインフレにあることを見抜いていた。加えて円の国際的な価値が下がった。

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拡大する矛盾(3) [卷之六游魚]

 このために為替レートは円高に転じ、百円=43ドル50セントに回復した。これと同期して金の保有量が増加に転じ始めた。緊縮財政で一時的に不況の度は増すかもしれないが、輸出が回復すれば不況から脱することができる。アメリカ合衆国の経済は堅調であるかに見えた。
 8月28日、浜口は「全国民に訴う」と題したチラシを作らせ、全国1300戸に配布した。そこには次のようにあった。

 今日のままの不景気は底知れない不景気であります。これに反して、緊縮、節約、金解禁によるところの不景気は底のついた不景気であります。前途晧々たる光明を望んでの一時の不景気であります。我々は国民諸君とともにこの一時の苦痛をしのんで、後日の大なる発展をとげなければなりません。

 経済界はこぞって浜口を歓迎した。
 これに対して政友党の水戸忠造は言った。

 国民挙って消費を節約すれば、他人の生産したものを買うことが減少すると同時に、自分の生産したものの売れ行きも減少する。言い換えれば経済政策全体の縮小に終わる。浜口首相も井上蔵相も我が国の公債総額が六十億円近くに上ったことを以て、あたかも国家の存亡に関する一大事の如くに宣伝し、現内閣はこれを整理を以て重要使命とするものであると吹聴し、この六十億円を一人当たりに割ってみれば九十円の借金を負っている、誠に大変なことと告げた。

 個人レベルの節約は消費を拡大するかもしれない。だが、国をあげて消費を節約すればどうなるのか――この批判は正論であった。
 11月21日、政府は「来年1月11日から金輸出を自由化する」と発表した。経済の縮小を以て景気の回復をねらうというのである。
 この日、株価は跳ね上がった。

  金の解禁立て直し   来るか時節が手を取って

 という「解禁節」までが流行した。
 これを受けて浜口は、自信満々で衆議院を解散した。与党民政党は273議席を獲得した。対して反対を唱えた政友会は174議席にとどまった。
 国民は金解禁を支持したのである。

拡大する矛盾(4) [卷之六游魚]

 井上が描いた景気回復のシナリオは、次のようなものだった。

 ① まず、緊縮財政/軍備費削減によって重工業、繊維産業の不況は一時的に深刻さを増す。
 ② それによって、倒産や企業合併が進み、失業者も一時的に増加する。
 ③ しかし企業が淘汰され、資本の集約が促される。
 ④ 並行して賃金の抑制と圧縮が進み、生産原価が低減する。
 ⑤ 結果として日本製品の国際競争力が増す。

 だが彼は、重大なことを見落としていた。

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拡大する矛盾(5) [卷之六游魚]

 9月21日から11月4日までのおよそ1か月半に、横浜正金銀行は3億4200万円相当の円をドルに交換した。そのときの上位4社は次のようである。

 ・ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行 3700万ドル
 ・三井銀行 2135万ドル
 ・三井物産 1423万ドル
 ・住友銀行 1235万ドル
 

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弱電メーカー(1) [卷之六游魚]

〈伝話器〉

 この章は、本書の主題である社会・経済の情報化ないし、ITサービス(ソフト/サービス)産業と直接の関係がない。第二次大戦後、国策に沿ってコンピュータを国産化する電機・電子機器メーカーのことである。
 主題からやや遠いことに一章を費やすのはなぜであるかといえば、”騎虎の勢い”とでもいうものであって、筆者が読者にいえるのは
 「まぁ知っておいて損はあるまい」
 という程度のことでしかない。ただ、あとあとのことにかかわりがある。
 

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弱電メーカー(2) [卷之六游魚]

〈岩垂邦彦〉

 吉崎とWE社の間を仲介していたのは、岩垂(いわたれ)邦彦という人物である。
 岩垂は安政四年(1857)に九州の小倉に生まれた。1882年(明治十五)、工部大学校(のち東京帝大工学部)の電気工学を卒業して工部省に入り、1886年にアメリカに渡ってエジソン・マシン・ワークス(EMW)社に見習い技師として採用された。EMW社が、のちに企業合併・吸収を繰り返し、ゼネラル・エレクトリック(GE)社となった。岩垂はトーマス・エジソンに師事した数少ない日本人の一人である。

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