意気揚々(3) [卷之六游魚]
1928年(昭和三)の秋、黒澤商店に暁星中学を出た一人の若者が入社してきた。
暁星中学といえば、1888年(明治二十一)8月に麹町区飯田町(現千代田区飯田橋)に開校を許可された私立学校で、その始めは明治初年、五人の宣教師によって築地の外国人居留地に開設された外国人学校にさかのぼる。昭和初期も同校は伝統を受け継ぎ、外国人も通う国際色豊かなハイカラな学校だった。
青年はやや面長で、大人しそうな顔つきや物腰から、育ちのよさが見て取れた。
暁星中学といえば、1888年(明治二十一)8月に麹町区飯田町(現千代田区飯田橋)に開校を許可された私立学校で、その始めは明治初年、五人の宣教師によって築地の外国人居留地に開設された外国人学校にさかのぼる。昭和初期も同校は伝統を受け継ぎ、外国人も通う国際色豊かなハイカラな学校だった。
青年はやや面長で、大人しそうな顔つきや物腰から、育ちのよさが見て取れた。
意気揚々(2) [卷之六游魚]
契約が1件取れれば年間数千円の賃貸料が入ってくるうえ、消耗品であるパンチカードが間違いなく売れるのだから、これほど旨味のある商売はなかった。であればこそ黒澤は営業課長に据えた水品に裁量を任せることができた。
このブログについて [お知らせ]
2004年10月から2005年3月にかけて、全5冊3000ページの本を出版しました。
5年を経過しているので、Web版として公開することにしました。
もちろんご入用の方には有償でお分けします。
古書店では1冊2000円ぐらいで売られているようですが。
同じ主旨で別のサイトで公開しているので重複となりますが、so-netの皆さんもお読みください。
ただし、長いですよ。
旅の個人史 http://keyling.blog.so-net.ne.jp/
巖汀亭日乗 http://ganchoh-tei.blog.so-net.ne.jp/
も読んで見てやってください。
5年を経過しているので、Web版として公開することにしました。
もちろんご入用の方には有償でお分けします。
古書店では1冊2000円ぐらいで売られているようですが。
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補注集 http://syokihochu.blog.so-net.ne.jp/ を新設しました
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巖汀亭日乗 http://ganchoh-tei.blog.so-net.ne.jp/
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タグ:歴史
意気揚々(1) [卷之六游魚]
森村商事からホレリス式統計会計機械装置の営業権を継続した黒澤商店は、最初の年、つまり1927年から実績を上げ始めた。まずこの年の9月に海軍の呉造船所総務部、10月に同造船所会計部が相次いで契約を結んだ。次いで翌年1月に商工省、11月に内閣統計局からカードパンチ装置47台という大型契約を獲得した。この時期の黒澤商店は震災前の勢いを盛り返し、CTR社の統計会計機械装置にかかわる従業員たちは意気揚々だったに違いない。
世代交代(3) [卷之六游魚]
中華民国でも世代の交代をきっかけに政局が動いていた。
1925年1月12日、孫文が北京で没した。享年59。
広東省に生まれ、日本に留学して医者となった。ときの清王朝は有名無実に化し、中国は西欧列強はおろか、新興のアメリカや日本にも租借地を与えるありさまだった。これに義憤して「興中会」を組織し、のちに発展して中国革命同盟会が結成されている。
1925年1月12日、孫文が北京で没した。享年59。
広東省に生まれ、日本に留学して医者となった。ときの清王朝は有名無実に化し、中国は西欧列強はおろか、新興のアメリカや日本にも租借地を与えるありさまだった。これに義憤して「興中会」を組織し、のちに発展して中国革命同盟会が結成されている。
世代交代(2) [卷之六游魚]
計算機から眼を転じて、社会を眺めることにする。
景気は好・不況を繰り返しつつ、下降する傾向を示していた。政治は明治以来の露骨な藩閥偏重が終焉して「民」主体の政党が政権を担ったが、次第に「軍」主導の構図が明らかになった。つまることろ、全体としての見通しはバラ色ではなかった。
景気は好・不況を繰り返しつつ、下降する傾向を示していた。政治は明治以来の露骨な藩閥偏重が終焉して「民」主体の政党が政権を担ったが、次第に「軍」主導の構図が明らかになった。つまることろ、全体としての見通しはバラ色ではなかった。
世代交代(1) [卷之六游魚]
黒澤商店がホレリス式統計会計機械装置を扱った1927年から1937年にかけての世相を概観しておきたい。
計算機の普及や利用技術を主軸にすえる本書からすると、この期間は、
――まことに奇妙な時代。
と言うほかはない。
計算機の普及や利用技術を主軸にすえる本書からすると、この期間は、
――まことに奇妙な時代。
と言うほかはない。
黒澤村(4) [卷之六游魚]
〈プレトマイヤー〉
1926年12月、CTR社――正確に言えば、その2年前、CTR社は「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ」に社名を変更していた――の副社長プレトマイヤーが来日すると、森村市左衛門(開作)は代理店契約の打ち切りを申し出るとともに、黒澤貞次郎を紹介した。ニューヨークの中山が事前に根回しを済ませてあったと見えて、プレトマイヤーは責任契約高条項について「不問」とし、既存の日本陶器、三菱造船を含む全営業権を黒澤商店に譲渡することで合意が成立した。
1926年12月、CTR社――正確に言えば、その2年前、CTR社は「インターナショナル・ビジネス・マシーンズ」に社名を変更していた――の副社長プレトマイヤーが来日すると、森村市左衛門(開作)は代理店契約の打ち切りを申し出るとともに、黒澤貞次郎を紹介した。ニューヨークの中山が事前に根回しを済ませてあったと見えて、プレトマイヤーは責任契約高条項について「不問」とし、既存の日本陶器、三菱造船を含む全営業権を黒澤商店に譲渡することで合意が成立した。