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幕末(3) [卷之三薄靡]

 次に挙げることができるのは、1860年、連邦共和国第16代大統領に就任したエイブラハム・リンカーンである。彼の伝説は幕末の志士たちに、ある思想を与えた。
 ――貧しい開拓農民を父としてイリノイの丸木小屋に生まれ、ろくに学問をする余裕もなく……。
 という伝説は、サクセス・ストーリーを好むアメリカ人がのちに創作したものであって、実際は中流階級の生まれであった。 とはいえ、まず雑貨商の店員になり、次に郵便局員となり、1823年に対インディアン戦争の義勇兵として入隊したという経歴は事実であるらしい。
 ややあってのち、独学を重ねて弁護士となった。
 当初、彼は民主党から出馬して下院議員に当選した。ところが黒人奴隷制度への考え方が合わず、上院議員への転出に際して共和党に鞍替えした。上院議員だったとき、民主党の大物政治家だったスティーブン・ダグラスと7回にわたって論戦を交わした。
 その中で改めて奴隷制度に言及した。
 「わたしは奴隷制度を西部に広げることには反対だ」
 これが伝聞されるうちに、
 ――西部に広げることには。
 の部分が抜け落ちた。
 南部諸州の資産家は、リンカーンを奴隷制度廃止論者と決めつけていた。そのために、彼が大統領に就任するとただちにサウスカロライナ、ミシシッピー、フロリダ、ジョージア、テネシーといった州の議会が連邦からの離脱を決議し、翌1861年にジェファーソン・デービスを「自分たちの大統領」に選出して独立を宣言した。
 次いで南部連合は同年4月、軍隊をもってサウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞を包囲し、救援に駆けつけた連邦軍と交戦状態となった。この瞬間、南部連合は「国家に対する反逆者」になり、北部自由州は急速に「奴隷制度廃止論」に傾いた。南部連合は過剰反応だった。
 ともあれ、貧農の家に生まれた人間が連邦共和国の大統領になり、数百万の奴隷を解放して市民権を与えた。その新知識が日本にもたらされると、勤皇と佐幕を問わず、現行の幕府と藩と大家族の制度に行き詰まりを感じていた志士たちに勇気を与えた。
 このことを勝麟太郎(海舟)から聞かされた土佐脱藩・坂本龍馬は、
 「入れ札で将軍を決める国があるのか」
 と大いに驚いたと伝えられる。
 彼は話に興じ、興奮すると羽織の紐をグジグジと噛み、大量に唾液を含んだ房を振り回す癖があったという。「龍馬」という一定のイメージがある現在、それも独特の天衣無縫として好意的に受け取られるが、実際に居合わせれば悪癖であること疑いを得ない。
 入れ札。
 「選挙」という概念がなかったために、「投票」という言葉が存在しなかった。当時の開明者であっても、その概念を言い当てる言葉に窮した。彼はこのことを知己の同志たちに吹聴し、故郷に住み暮らす姉乙女や姪の猪春坊に書き送った。
 ――アメリカという国では、誰でも大統領になれる。
 ――大統領の子が大統領を継がなくても、誰も怪しまない。
 ――生まれながらにして、人に生まれたがゆえの資格がある。
 この新鮮な驚きが、維新回天のエネルギーに転換した。

【補注】


スティーブン・ダグラス 1860年大統領選挙の北部民主党候補。民主党は奴隷制度をめぐって北部と南部に分裂し、南部民主党は独自にケンタッキー州出身のジョン・ブレッキンリッジを立てた。その結果、共和党から立候補したリンカーンが僅差で当選した。
勝 海舟 かつ・かいしゅう/1823~1899。実名は「義邦」のち「安芳」、維新政府で参議兼海軍卿、伯爵。

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