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殖産興業(4) [巻之四曙光]

 外国人技師たちは短期間だったが、熱心に日本人の教育に当った。その理由として、日本への往復旅費を日本政府が負担したばかりか、住宅を与え、高額の報酬で遇したことなどがあげられているが、アジア人を蔑視する傾向が強かったヨーロッパ人にあって、いかにも不思議なことといえる。
 特に俸給は尋常ではなかった。明治七年に政府が採用していた外国人は503人だったが、彼らの俸給は1000円以上が3人、800円以上が10人、500円以上が25人、100円から200円というのが最も多かった。当時の日本人の月給は、太政大臣が800円、参議が500円、官営工場で働いていた日本人熟練工の月給は10円から15円である。
 人材の育成と並行して、政府は4800万円に及ぶ太政官札を発行し、旧幕府債務を継承する新旧公債2300万円、旧士族の家禄を金銭でまかなう秩禄公債1億9000万円などを支出して、民間資本の蓄積を促した。
 民間資本の蓄積といえば体裁はいいが、分かりやすくいえば、国そのものが士族をだまくらかす大掛かりな仕掛けを作り、かてて加えて高利貸しになったようなものであった。士族こそいい迷惑だった。
 家禄を金銭に交換された士族たちは何がしか食い扶持を稼ぐために、何がしかの事業を見よう見まねで始めたが、「士族の商法」という言葉を残しているように、その多くは失敗に帰した。事業に失敗し、破綻した士族の資産は国に吸収され、これが政府中枢と結びついた一部の特権的商人、いわゆる「政商」に循環した。三井、三菱、住友の三大財閥はここから出発した。
 民間資本が未成熟であったため、工部省や内務省が国家予算を投じて工場、鉄道、港湾を建設し、銀行や学校を作った。産業も未熟だった。そこで、士族に資金を与えて事業を興させざるを得なかった。その構図は、現在の過疎地の町や村の経済に通じるところがある。地域に軸となる産業がないため、人々は先祖代々の田畑を耕すか、山で木を伐るか、海に出て魚を獲ることで生計を立てる。それ以外のこと――人を育て、投資を行い、新しい事業を興し、災害から地域を守る仕事――は、役場が担っている。
 役場が行う道路や河川の工事で、地元の土建業や商店が成り立っている。そしてその土建業や商店の主が役場の政治を決定するのだから、真の民意はなかなか反映されにくい。土木工事や鉄筋コンクリートの校舎を作る公共事業が、過疎の問題を生み出した。
 ただ、現在の過疎町村と明治政府が違ったのは、税金で作った工場や施設を民間に払い下げたことであった。税金の上前をはねた企業が、税金で作った工場や施設を手に入れたのだから、庶民から見れば詐欺のようなものだった。

タグ:富国強兵
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