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成金(2) [巻之四曙光]

〈オールド・ノリタケ〉

 例えば革命前のロシア政府からは、軍用毛布1760万ヤードの注文があった。このため日本毛織は全工場で24時間の生産を行ったが、それでも受注に追いつかなかった。
 同じくロシア政府は、大量の軍用電話機を日本の大倉組に発注した。最初の発注量だけで4万台という膨大なもので、逓信省がこれを日本電気と沖電気工業に2万台ずつを割り当てた。逸見治郎が苦心の末に完成させた孟宗竹の計算尺が輸出されたのもこのときだった。
 アメリカからはボーン・チャイナが日本に発注された。これはホテルやレストランなど民需用だった。ヨーロッパの陶器メーカーから輸入が激減したため、その代替として日本製の陶器が求められた。森村組が窓口となり、日本陶器が生産した。白磁の大皿の年間受注量は、最初1万セットだったが、3年後には10万セットを上回った。生産地の名を付けた陶器は「ノリタケ・チャイナ」と呼ばれ、現今にいたっては「オールド・ノリタケ」として高額で取引されている。
 企業の利益率が好況のすごさを物語っている。
 1914年上期における主要な企業の平均利益率は14.8%だった。それが1916年下期には44.0%に増加し、ピーク時の1918年下期は63.3%に達している。何でも売れ、いくらでも儲かるという時代だった。
 この間の貿易収支を見ると、1916年(大正五)に約12億円だった輸出額は、3年後に約21億円に、輸入額は約8億円から約18億円に急増した。1916年から1918年まで3年間の貿易黒字は13億円に達している。
 貿易の急伸で海運業が興隆し、鉱工業、紡績業、木材業、電信・電機業などが軍需で巨利を得た。信じられないほどの富が、驚くほど短時間に個人に集中し、いわゆる「成金」が相次いだ。

【補注】


ボーンチャイナ yutakamiさんからお問いかけがあったので調べました。Wikipediaとミントン社のHPからの情報をミックスすると、以下のようです。
銅版転写の彫刻師だったトーマス・ミントンが発明した。原型は中国・景徳鎮の磁器。
景徳鎮には江西省の高嶺(カオリン:Kaoling)で産出する特殊な粘土が使われており、その成分に含まれる鉱物に「カオリナイト」(kaolinite:カオリン石、高陵石)という名が付けられた。長石などが変質して生じるアルミニウム含水珪酸塩鉱物で、焼成すると滑らかで硬質の磁器を生み出す。
イギリスではカオリナイトの入手が困難だったため、トーマス・ミントンは代用品として牛の骨を使ったとされる。
トーマス・ミントンは1793年に製造・販売のミントン社を創業し、2代目ハーバート・ミントンによって生産性・芸術性を高め、大きく飛躍する。ミントンは豪華に金彩を施した食器を数々生み出し、世界で最も美しいボーンチャイナと呼ばれ、1840年ビクトリア女王より賞賛される。1856年から王室御用達となった。
http://www.royaldoulton.com/GB/Minton/
ちなみに日本でカオリナイトの産出地としては、岡山県備前市三石、広島県庄原市勝光山が知られる。

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yutakami

またお邪魔します。
このボーン・チャイナ、牛の骨だったのでしょうか?ウエッジウッドのボーン・チャイナもたしか19世紀も後半からだったので、そのあたりの技術伝播、ご存知でしたらばお教えください。
by yutakami (2009-11-07 14:18) 

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