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千年の時空(5) [序叙]

 電信・電話は着実に普及していったが、多くの人々は、伝書鳩の方が信頼できるし早い、と考えていた。電信・電話は、相手が電信機や電話機を持っていなければ、交信のやりようがない。その点、伝書鳩は回線が通っていない遠隔地からでも、山を越え、川を越え、海すら渡って通信文を運ぶことができた。 イギリスのロスチャイルドは、ナポレオン軍がイギリス軍に敗北したことを、伝書鳩を使って誰よりも早く入手して巨万の富を得た。1815年に起こったワーテルローの戦いのときである。
 ロイター通信社がニュース配信サービスを始めて間もない1850年、パリからベルリンまで情報を送ろうとした。だが、ベルギー国内の200キロは通信線が敷かれていなかった。
 そこでロイターは伝書鳩を使って中継した。
 通信回線で送られてきた電文を小さな文字に書き写し、それを鳩の足に付けた筒に入れた。受け取った通信員が再び電信文に直して送信したのである。
 第二次大戦では無線通信が活躍したが、ヨーロッパ戦線でも太平洋戦線でも、鳩を撃つことが通信兵に課せられた。人々は素朴に動物の帰巣本能を信じていた、といっていい。
 無視界通信の技術開発を促したのは、国際的なイベントであった。とりわけオリンピックが大きな役割を果たした。1936年のベルリン・オリンピックまで、戦争はまだ有視界で行われた。第1次大戦では敵を目視できる範囲で砲弾が飛び交ったが、その4年後、1940年に開催されるはずだった東京オリンピックを境に、見えざる敵との戦いになった。
 無線と暗号が飛び交い、航空機の進むべき方向が電波で示され、爆弾に信号発信装置が埋め込まれ、レーダーが敵の位置を探り当てるようになった。大砲の弾を飛ばすより、飛行機で敵の上空から投下したほうがいい、と人々は考えるようになった。巨大な戦艦が撃沈されると戦争資源はその瞬間にゼロになってしまう。であれば、航空機が撃ち落されたほうがましなのだった。
 戦争もまた費用対効果の原則で動く。
 電子と情報の戦いが始まった。
 戦後に入っても、通信社や新聞社、証券会社などのビルの屋上には、必ず鳩小屋があった。東京・銀座のど真ん中に本社を構えていた日本電報通信社は、名乗りにもかかわらず、伝書鳩専門の世話係と訓練係が雇われていた。中学生や高校生が伝書鳩を飼い、あちこちで鳩の優秀さを競うコンテストが開かれた。この時代、鳩は平和のシンボルでもあった。
 団塊の世代は映画『キューポラのある町』(1936年、日活)を、ほろ苦く思い出すに違いない。それは吉永小百合という女優の初々しいデビュー作というだけでなく、皆が貧しかった時代、貧しかったけれども楽しかった時代という、戦後世代共通の記憶に結びつくためかもしれない。

【補注】


伝書鳩と電信  『伝書鳩 もうひとつのIT』(黒岩比佐子、文春新書)。『ニュースの商人ロイター』(倉田保雄、朝日文庫)。
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