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史の朋輩(1) [序叙]

 本篇に入る前に、しばらく無駄話に紙幅を費やす。
 それは「史のともがら」について、もしくは筆者の執筆姿勢にかかわるいくつかのことである。
 「ともがら」には朋輩という文字を当てる。

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タグ:金印

史の朋輩(2) [序叙]

 これまでに著述された著名な史書のうち、最も剽窃の謗りを受けているのは『漢書』である。高祖劉邦に始まる漢帝国を描いた史書であって、全百巻で成る。帝位を継承した王朝が前王朝の事績を評すことの始まりとなり、かつ正史の原型となった。

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タグ:班固 漢書

史の朋輩(3) [序叙]

 実弟で西域を探検する功を立てた超がこの危機を聞きつけて弁護に立ち、権門の竇氏を動かして兄を救い出した。帝はその作が優れているので、反対に固を蘭台令史(宮中秘書管理官)に取り立て、勅命で編纂の続行を命じた。

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タグ:班固 漢書

史の朋輩(4) [序叙]

 巻末の〔解題〕が面白い。
 文字通り『漢書』『後漢書』『三国志』のそれぞれについて、その成立過程や位置づけ、特徴などを解説しているのだが、何が面白いかというと、中国の著名な史家が時代を超えて論争を展開していることである。

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史の朋輩(5) [序叙]

 事実として、前漢の高祖から武帝の元封年間(前110~105)まで、班固は『史記』の記述をそのまま襲った。以後の記述は賈逵、劉歆の著作を援用し、かつ班彪の『史記後伝』にも依拠している。表と天文志は班昭と馬融が補った。班固自身の作になるのは古今人表のみでしかない。ゆえに、のちの史学者から、剽窃ではないか、とする批判がある。

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タグ:陳壽 范曄

書紀(1) [序叙]

 本書の名は『日本書紀』に由来している。それで、少しく『日本書紀』という書物について書く。

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書紀(2) [序叙]

 太平洋戦争に勝利したアメリカ軍は、日本を占領統治するに当たって、日本神話に結びつく原典、論文の類を皇国史観の元凶として出版を差し止め、また革新を自認する出版社はあえて手を出そうとしなかった。このため『日本書紀』という書物は、教科書にその名前と記事の概要が紹介されるだけの、まるで鵺のような存在になってしまった。

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書紀(3) [序叙]

 これを見ると、だれでも身構える。大学で国文学か中国文学ないし仏教を専攻した人、中国と取引きをしている人ならともかく、これほどの漢字の羅列に出会うことは、日常、まずない。

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書紀(4) [序叙]

 『書紀』巻第一「神世上」初段は次のように読むとされている。

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書紀(5) [序叙]

 本文の脇に万葉仮名で振った訓読が、写本を重ねる中に本文に取り込まれた。それによってわたしたちは8世紀ないし9世紀の人々がどのように読み下していたのか、さらに当時の発音はどうであったのかを知ることができる。

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編年(1) [序叙]

「記録」というものが多く残されなかった時代(ないし、同時代資料が多く残存していない時代)を正しく解明するのは、至難の業である。日本史上、最大の謎である「邪馬台国のことを記す同時代資料は、司馬炎が樹てた晋王朝の陳寿が残した〔魏志倭人伝〕に含まれる約1800文字でしかない。

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編年(2) [序叙]

 このようにかなり正確な記述が確認できる一方、

  ●郡より女王国に至る万二千余里。
  ●其の道里を計るに、当に会稽東冶の東に在るべし。
  ●又侏儒国有り。其の南に在り。人の長三、四尺。

 など、実際の地理と合わない記述もある。

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編年(3) [序叙]

 現代史の探求においても、編年の指標を策定する作業は、作成された編年表以上の価値を持っている。何を加えるかではなく、何を残すか、という作業であるからだ。
 時代を表徴する利器から何を削ぎ落とすか、何を優先し重きを置くかを論じるプロセスそのものが、時代を分析することに通じる。
 文献に基づく検証は、文献そのものの生い立ちを確認し、文字を判読し、文の意味を理解し、社会的事象を再構築する作業を指している。場合によっては墨や紙の材質、製法すら科学的手段で解析しなければならない。誤解を受けやすいのだが、一般にこの作業は「文献批判」と呼ばれ、合理的な解釈の形成に欠かすことができない。
 最後の総合的な評価は、物にかかわる知見と文献に基づく検証によって得られた情報をもとに、その時代の印象や風景を、社会全般に広げて論証することである。別の言い方をすれば、「社会の再現」ということになろうか。
 以上の認識をIT産業に適用すれば、物にかかわる知見と文献に基づく検証にはこと欠かない。残るのは総合的な評価だが、物と文献が溢れ、情報が錯綜する現在、至難であるのはむしろ「過ぎたるを削り評を定める」の作業であろう。
 そこで「編年」(ないし指標)が再び重要な役割を果たす。むろん、計算機の演算機構をもって世代を論じる編年は、すでに存在する。

●真空管=第1世代
●トランジスタ=第2世代
●IC/LSI=第3世代

 真空管の前に電気で動くパンチカード式計算機械装置があり、蒸気機関と歯車で動く計算機械があり、さらに手廻しの手動式ギア計算器があった。さかのぼれば道端に落ちている石や山に生えている木の葉っぱが計算機の原点ということになる。

編年(4) [序叙]

 モノの始めというのはすべからく自然界にたどりつく。それぞれに用途を与え、専用の道具として加工し、自然界に存在する動力を人工的(ないし機械的)な動力に代替するプロセスを通じて機械装置が具現化してきた。

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編年(5) [序叙]

 「OS以前」とは、計算機がまだ機械としての純粋性を失っていなかった時代である。そして「OS以後」の電子計算機においては、機械的構造にあらざる機能や性能が基軸となる。

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タグ:歴史

編年(6) [序叙]

 人間が計算を欲するようになったのは、社会に支配と階級が発生したときに始まっている。支配と階級というものは、他人が生み出した生産物の一部を「税」の名のもとで搾取する仕組みにほかならない。そのために誰がいかほどを生産し、その者からどれほどを搾取できるか、定めた量を間違いなく納めたか、不足はないかを調べる方策が必要になった。

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編年(7) [序叙]

 計算の用途は、最初は石ころで数をとどめ、羅針盤で方角を割り出すことにあった。中世から近代にかけて、それが貨幣の勘定に置き換わった。

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編年(8) [序叙]

 日本IBMがインターネットで提供している『IBMコンピューター・ミュージアム』は、コンピュータ以前を次のように記す。

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情報と知識(1) [序叙]

 情報化とは何か――という話題には、ここでは触れない。この言葉は社会・経済の諸相だけでなく、人の心のありようにもかかわるためだ。そこでここでは話を進めるために、「情報と知識」という言葉に置き換えておく。

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情報と知識(2) [序叙]

 野生動物において最も重要なことは生命の維持なので、彼らにとっての情報と知識はおのずから食糧を指向する。ヒトにおいても同様だったが、火と水と木と石と土を用いて食糧を加工するという知識を獲得した。

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情報と知識(3) [序叙]

 ともあれ、文字。
 この国においては、江戸の寺子屋で庶民が筆を覚えるまで、文字というものは特権階級に独占されていた。読み書き算盤ができるというだけで一目も二目も置かれ、立身出世の足がかりだった。

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情報と知識(4) [序叙]

 この錯覚がいかなる理由、原因によってもたらされたか、それが社会・産業・文化・生活とどのように響き合ったかを探ることも、また意味なしとしない。

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情報と知識(5) [序叙]

電子技術の扉を開いたのは真空管である。真空管は戦争によって発展し、その発展が無視界通信の技術を進展させた。真空管がラジオとテレビを生み出し、その電波をめぐる様々な研究がレーダーを生んだ。新しい技術がただちに別の新しい技術を生むスパイラルの構図がここに誕生した。このことはのちに詳述する。

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情報と知識(6) [序叙]

 零戦の名パイロットとして鳴らした塚本祐造中尉は、1943年(昭和十八)に入ってアメリカ軍が新兵器を実装したらしいことに気がついていた。隣を飛んでいる友軍機が、被弾してもいないのに突然火を噴いて落下していく光景を幾度か見た。砲弾に真空管が仕組まれていたことを、塚本は戦後になって知った。

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情報と知識(7) [序叙]

 本書は多くの資料に依存しているが、不思議なことに、入手が困難だったのは、ここ数年の資料なのである。古い時代の文献や資料をたいせつに思うのは、人の心理として理解できないわけではない。だからといって直近のものを軽々に扱っていいというものでもない。

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千年の時空(1) [序叙]

 一般に電子計算機の始まりは、1946年に完成したENIACであるとされる。それから現在までの60年間を、仮に「コンピュータの時代」とする。一方、数学の理論に基づく「計算のための機械的な仕掛け」は、17世紀前半から始まったとされる。以来、ENIACまでのおよそ320年間が、コンピュータにとっての「前史」に相当する。

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千年の時空(2) [序叙]

 やがて世の中が平穏になったので街道というものが整備された。十返舎一九によると、江戸の日本橋から京都の三条大橋まで492キロを往くには13泊14日が平均とされた。このことからすると、17、18世紀における文化の速さは時速1.5キロ弱であった。

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千年の時空(3) [序叙]

 陸蒸気は32キロを行くのに小一時間を要していた。文化の伝達速度は8倍に上がった。次いで液体の化石燃料を爆発させ、動力を得る方法が編み出された。

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千年の時空(4) [序叙]

 古代においても非接触型の情報伝達手段があった。ただし音が届く範囲、煙が見える範囲に限られた。つまり「有視界通信」だった。この方法は19世紀中葉まで、最も早い情報伝達の手段だった。 

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千年の時空(5) [序叙]

 電信・電話は着実に普及していったが、多くの人々は、伝書鳩の方が信頼できるし早い、と考えていた。電信・電話は、相手が電信機や電話機を持っていなければ、交信のやりようがない。その点、伝書鳩は回線が通っていない遠隔地からでも、山を越え、川を越え、海すら渡って通信文を運ぶことができた。

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