SSブログ

和洋折衷(4) [巻之四曙光]

 NHKが1966年4月から1年間、朝のテレビ小説と銘打って土曜と日曜を除く毎朝15分間放送した『おはなはん』は、そういう時代を生き抜いた女性の半生記を描いている。樫山文枝演ずるところの”おはなはん”は、矢絣の和服に袴の姿で自転車に乗る、ちょっとはねっ返りなハイカラさんでもあった。 あるいは夏目漱石が『坊ちゃん』で描くところのマドンナも、その一人といっていい。
 このころの世相を揶揄した風刺画「日本人の二重生活」が面白い。描いたのは北沢楽という人であった。
 「日本人の二重生活」が揶揄するのは、次のようなことどもである。

 ●結婚式で新郎はモーニング、新婦は文金高島田。神前で式をあげ披露宴はホテルで洋食。
 ●小学校ではローマ字を教えながら、子供たちは難しい仮名遣いを覚えなければならない。
 ●来客を畳の間に置いた椅子に据わらせ内儀が畳に三つ指を付いて迎える。
 ●女学生は矢絣の和服の上にスカートをはき、髪を丸髷風に結い上げて足元はブーツ。
 ●宴会は背広姿で座布団に座り、前に置かれた膳で食する。

 外出のときは洋服だが、帰宅すると和服に着替えるというのが、この時代の勤め人の一般的な生活スタイルだった。さすがに21世紀のこんにち、帰宅すると和服に着替えることはなくなったが、北沢が指摘することの多くは現在もほぼ同様であって、もはや誰も「二重生活」とは感じない。
 である以上、当時の世相を笑うことはできないであろう。
 和洋折衷が日常の生活に浸透したのは大正に入って――西暦1910年代以後――である。東京や大阪の急速な都市化が、新しい文化のかたちを生み出したといっていい。

 1914年(大正3)、東京の銀座に三越百貨店の新館がオープンした。そのビルの模型を手にした赤坂の芸妓・万龍を描いたポスターが
 「今日は帝劇、明日は三越」
 というキャッチコピーを生み出した。
 ややのちの統計だが、銀座の町を歩く女性の服装、髪形などを調べた記録が残っている。青森県生まれの建築学者、風俗研究家である今和次郎(1888~1973、早稲田大学建築家教授)が1925年(大正十四)に行ったものだ。東京美術学校(現国立芸術大学)を出た建築学の専門家でありながら、新渡部稲造、柳田國男と交友し各地の風俗を見て歩くのが趣味だったこの人物らしい足跡である。もっとも今は各地の風俗を見るだけでなく、農村の家屋の造りや小川の配置から農業社会を考え、女性の装いから都市の構造を思考した社会学者でも会った。
 それによると、和服姿は男性が33%であったのに対し、女性はわずか1%に過ぎなかった。また往来する女性816人のうち、髪型が洋風だったのは344人で42.1%だった。ということは、丸髷や島田、銀杏透し、束髪など和風の髪型に洋装という女性が半数以上だったことを示している。女性のファッションもまた、和洋折衷であった。
 1922年(大正十一)の秋、東京で平和記念博覧会が開催された。そのとき建築学会の手で初めてモデル住宅というものが作られた。こんにちの住宅展示場の原型をなすものであって、庶民にとって縁遠い存在だった洋風の生活スタイルが、手を伸ばせば届くところに近づいた。建坪は20坪以下、坪単価は200以内、居間・客間・食堂は椅子とテーブル、台所にはシステム・キッチン。
 同じ年、早稲田大学教授の山本忠興は、東京・目白に700坪の土地を買い求め、水道以外すべてを電気でまかなう実験的な住宅「電気の家」を建設した。設計は従兄弟で住宅設計家の先駆をなした山本拙郎であった。
 玄関のドアも電気で開閉し、湯沸かし器、フットウォーマー、電気掃除機、パーコレーター、トースター、電気アイロン、電気ミシン、電気オーブン、電気洗濯機、扇風機、電気ストーブなど、すべてアメリカのウエスチングハウス社から輸入した家電製品が揃えられた。電気オーブンだけで650円もした。電化製品の合計額は庶民の家が一軒や二軒は建つ金額であったと伝えられる。
 外見は洋館であり、中に入っても床は板張り、椅子とテーブルの生活というのが前提だったが、であるにもかかわらず、電気座布団が用意され、台所には竈(かまど)が設置され、部屋には畳が詰め敷かれたというのが、いかにも和洋折衷である。

【補注】


北沢楽天 きたざわ・らくてん/1876~1955。本名「保次」。埼玉県に生まれ、福沢諭吉が主宰した時事新報に風刺漫画を掲載した。一枚の絵で「おかしみ」を表現し、社会的な意味を持たせた功績は大きい。
山本忠興 やまもと・ただおき/1881~1951。高知県に生まれ、東京帝国大学を卒業して東京芝浦電気に入り、のち早稲大学に移り電気工学部の創設に尽力した。電気学会会長、照明学会会長を歴任し、学生陸連会長も兼任した。これが縁で第9回アムステルダム・オリンピックの日本選手団総監督も務めている。
電化住宅 『消えたモダン東京』(内田青蔵、2002、河出書房新社)。当時の貴重な写真や図面を収録し適切な解説が付されている。
タグ:富国強兵
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

和洋折衷(3)興廃在此一戦(1) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。