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火事場泥棒(1) [巻之四曙光]

 〈サラエボ事件〉

 前節を書いていて筆者は、日中戦争が始まる前の時代を描いているような錯覚にとらわれた。朝鮮、満州、満鉄、フィリピン、ハワイ、仮想敵といった言葉が続くためであろうけれど、だが間違いなく時代は明治なのである。
 そしてもう一つ間違いないことは、日中戦争とそれに続く太平洋戦争の遠因は日露戦争ないしポーツマス条約の前後に、ひっそりと仕込まれていたということである。
 ここで筆者はこの書籍の主旨に立ち返って、計算機の話に戻ることを欲するのだが、そのことを語るには1914年から10年間の出来事、すなわち第一次大戦の前後を見ておかねばならない。
 1914年(大正三)の6月、ボスニアの州都サラエボでセルビアの二人の民族主義者がオーストリア帝国皇太子夫妻を暗殺する事件が発生した。史上いうところの「サラエボ事件」である。このためオーストリア帝国がセルビアに宣戦を布告し、オーストリア帝国と協定を結んでいたドイツ帝 国も8月に参戦した。これに対してセルビアを支援していたロシアがオーストリア帝国とドイツ帝国に宣戦を布告、するとドイツ帝国はロシアと協調関係にあったフランスに対して宣戦を布告した。
 実力拮抗の国々が協商協定で手を組んでいたために、ドミノ倒しのように宣戦布告が連鎖した。
 ドイツ帝国軍はベルギーを通過してフランスに侵入した。このときから戦争の主導権はドイツ帝国が握ることになった。
 「フランスと戦うには、貴国を通過せざるを得ない」
 というドイツ帝国の言い分は、国際的に通用しなかった。
 フランスばかりか、イギリスまでもがドイツ帝国に宣戦を布告し、またたくうちに戦火がヨーロッパ全土に広がった。騎虎の勢で進軍したドイツ帝国軍だったが、東からロシアの圧力を受けて進軍を停止した。
 戦線が膠着し、両陣営は局地戦から陣地戦に移っていく。小説『西部戦線異状なし』が描くのは、このときの事情である。
 この戦争は従来の大砲と馬と兵隊による人海戦術の決戦方式から、毒ガスや戦車、飛行機といった新兵器に代表される科学・工業技術の物量戦に転換した。総合的な生産力が勝敗を決めるようになった。

 日本政府はヨーロッパで始まったこの戦争を、千載一遇のチャンスととらえていた。中心となったのは、外相加藤高明である。彼には明確な見通しがなかったが、
 「参戦すべきである」
 直感的にそう考えた。
 加藤がそう考えたのには、一応の理由があった。
 日本は日露戦争の戦費を国債でまかなったため、政府は25億円を超える巨額の国債未償還金を抱えていた。増税と外資の導入でからくも表向きを取り繕っていたものの、金の保有高が底をつき、新たな市場を獲得しなければ経済が破綻するところに追い詰められていた。

【補注】


サラエボ事件 オーストリア帝国の皇太子(皇帝フランツ=ヨーゼフの弟カール=ルートヴィヒ大公の長子)フランツ=フェルディナントは陸軍総監として陸軍の演習を視察するため、ショテク妃とサラエボを訪れた。サラエボ駅から市庁舎に向かった自動車に爆弾が投げられたが、ここでは従者3人と市民が負傷したにとどまった。歓迎式典を終えた皇太子夫妻は負傷した従者を見舞うために病院に向かい、その途中、ピストル2発が発射され夫妻は間もなく絶命した。
 フェルディナント皇太子はオーストリア帝国におけるドイツ人とマジャール人による支配がスラブ系市民の不満を助長していると考え、ドイツ人、マジャール人、スラブ人が相互に補完する「三元主義」を唱えていた。ところがスラブ系市民にとってその提案は、汎ゲルマン主義にスラブ人を取込む施策と受け取られた。
ドイツ帝国 1870年8月、フランスのナポレオン3世との戦争に勝ったプロシアは、翌1871年ヴィルヘルム1世が即位して「ドイツ帝国」と称した。以後、ドイツは帝政崩壊、ナチスの台頭など激しく変化する。本書では帝政時代を「ドイツ帝国」、1918年から32年までを「ドイツ共和国」、ヒトラー内閣が成立した1933年から1945年までを「ナチス・ドイツ」と呼んで区別する。ちなみにヴィルヘルム1世は1918年11月9日に退位して、帝政に幕が下ろされた。
西部戦線異状なし エリッヒ・マリア・レマルク(Erich  Maria Remarque/1898~1970)の小説。1916年、ギムナジウムの級友とともに出征し、西部戦線へ配属された体験をもとに、1929年に発表した。レマルクはナチス・ドイツによる反戦主義者弾圧により1932年にスイスに逃れ、1938年ドイツ国籍を剥奪されたのを機にアメリカ合衆国に亡命した。アメリカでは『汝の隣人を愛せ』(1941)、『凱旋門』(1946)を発表するなど平和主義に基づく文筆活動を展開した。


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