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2対1(3) [卷之六游魚]

 黒澤商店によるホレリス式統計会計機械装置の営業が伸び悩んだ原因は、売り方の違いばかりではなかった。筆者は、日本の企業が構造的に持っていた経済基盤に問題があったのかもしれない、と疑っている。
  すなわち、レンタル制のホレリス式を採用することは、固定経費の増大を意味していた。毎月一定の賃借料で機械装置が利用できるのは、業績が右肩上がりのときは有利だが、不況になると大きな負担になる。
 当時の日本の企業は経営基盤――さらにいえば民間資本の蓄積――が脆弱だったために、景気変動に大きく左右された。特に、年間4万枚の購入が義務付けられていたパンチカードのランニングコストが、ボディブローとなった。
 三菱造船が契約を解除したのも、パンチカードのコストが要因だった。売上げが減り、赤字に陥っても、計算業務の経費を抑制することができないレンタル制の弱点が裏目に出た。企業の経営者は、いっとき無理をしてパワーズ式を購入してしまった方が、長い目で柔軟に対応できると判断したのである。
 千代田生命保険相互会社の主計課員・香取繁雄との間で水品浩がやりとりした営業記録が残っている。1929年10月22日に同社の竹内太八郎が黒澤商店を訪問して以後、翌年末まで14か月にわたる記録である。
 その中に1930年11月19日付で次のような記録がある。

 賃貸借ト売却トヲ如何ニ考ヘラルルヤニ関シ意見ヲ伺フ。  氏ハ勿論売却スルヲ希望スルトノコト。

 結局、千代田生命はホレリス式統計会計機械装置を断念し、パワーズ式の導入を決めた。
 ホレリス式の契約が伸びなかったのは――別の見方をすると、パワーズ式が売れたのは――機械の性能や操作性にもよっていた。特に操作性と専門家のウエイトであった。
 パワーズ式は計算機構の操作を行うリレー配線が固定的であったために、定型的な業務処理に適していた。レミントンランド(1927年1月、パワーズ社を吸収合併)が自社の統計会計機械装置を「タービュレーター(製表機)」と呼んでいたように、どちらかというと、のちのビリングマシンや簿記用の専用機に近い位置づけだった。
 これに対してホレリス式は、電動穿孔機で出遅れていた。かつ計算機構の操作はリレーの配線をその都度設定し直さなければならなかった。複数の異なる業務処理を1台の集計装置で行う場合には柔軟性があるが、使いこなすには常時、専門家がいなければならない。
 当時は「システム」とか「アプリケーション・プログラム」という概念もなく、必要な人材や資材を外部から調達する、ないし外部に委託するという発想がなかった。ユーザーから見ると、ホレリス式は「操作が面倒な機械」だった。

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