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書紀(1) [序叙]

 本書の名は『日本書紀』に由来している。それで、少しく『日本書紀』という書物について書く。 撰上されたのは、元正天皇の養老四年(720)五月である。編纂にかかわったのは数十人あるいは数百人であったろうし、その作業は一度でなく何回かに分けて――おそらく前後十程度の区分で――行われたことが分かっている。だが記録に残るのは皇族筆頭であった舎人親王の名前でしかない。
 総巻数は全三十巻、系図一巻。
 わが国最古の官撰国史とされる。
 本来あるべき序文と系図1巻は散逸して現存していない。考えてみれば、この湿度の高い風土で1300年近くも前の書物が残るというようなことは、まず奇跡に近い。そうでなくとも奈良、京都は何度か戦火に遭った。
 現存のものはすべて後世の写本であって、「卜部兼方本」と呼ばれる神代紀二巻が弘安九年(1286)の奥書を持っていて最も古い。次いで永和元年(1375)の奥書を持つ熱田本十四巻、応永四年(1379)の奥書を持つ卜部兼右本二十八巻などが知られている。また、全三十巻を通しで備えるのは慶長年間の写筆と見られる内閣文庫十冊である。江戸期に市販された木版古活字刷本の多くは、慶長十五年(1610)起版に基づいている。
 このほか数行、数十文字のみを残す断簡が伝えられ、それぞれに比較検討が行われている。研究者たちは膨大な古紙の中から10行237文字、あるいは3行59文字を残す断簡を見つけ出し、筆法、用紙、紙背、異字を検証する作業を積み重ねた。
 その結果、空海の詩文集『遍照発輝性霊集』の一部を背紙に持つ巻第十応神紀残巻が平安初期の写筆と断定され、現在、これが国宝に指定されている。
 第二次大戦の前、原文に触れることができるのは一部の研究者と好事家に限られていた。学会の一部で、他の学術分野や在野の研究家にも広く知らしめるべきである、という主張がなかったわけではなかった。だが、大勢はその意義を認めなかった。
 すなわち、門外漢の意見は参考に過ぎない、と壟断した。
 学際研究が本格化したのは最近のことである。専門家の自負といえば聞こえはいいが、自負は偏見に通じる。“由らしむべし知らしむべからず”を確実にするには、原文が容易に手に入らないようにすればいい。
 ただ、弁護の余地がないでもない。
 当時、活字は高価であって、一方、『日本書紀』のような古文書の出版は大きな需要が見込めなかった。「国史大系」の名で吉川弘文館が出版に踏み切ったのは1934年(昭和九)だった。

【補注】


元正天皇 げんしょう・てんのう/680~748。天智天皇の第四皇女元明天皇(阿閇皇女、草壁皇子の妻、在位707~715)の皇女として生まれ、氷高内親王を名乗った。弟軽皇子(即位して「文武」在位=697~707)が早世したことから、その長子・首(おびと)皇子に皇位を継承させるべく即位した母・元明天皇のあとを受け、霊亀元年(715)九月に即位した。一般に飛鳥・平城初期の女帝は正統の男子に皇位を継承させるための中継ぎ(仲天皇)と理解されるが、この女帝は実権を握り、下級官吏の英才を抜擢して律令(養老律令)を定め(718)、按察使を設置して王族・貴族の専横や山川の独占を取り締まり(719)、田地開墾の「三世一身の法」を定めるなど親政を行った。『日本紀』の編纂はその一環である。首皇子に譲位してのちも太上天皇として実権を持ち、のちの院政の先駆をなした。
首皇子 おびとのみこ/700~756。聖武天皇。文武天皇の皇子に生まれ、和銅七年(714)立太子ののち、養老六年(723)に即位する予定だったが、妃・光明子の父・藤原不比等と伯母・元明天皇の死(720、721)が重なったため、神亀元年(724)に即位した。「聖武」の名が知られるが『続日本紀』などによると「勝宝感神聖武皇帝」が正しい。藤原四兄弟が裳瘡(もがさ=天然痘)で相次いで没したことをきっかけに仏教に帰依し全国に国分寺、平城京に総国分寺として東大寺を建立した。仏教興隆を軸に天平文化が花開いたが、一方で国の疲弊を招いた。天平十二年(740)から5年間、難波、伊勢、美濃、近江などを転々とした事情は古代史上の謎とされる。
舎人親王 とねり・しんのう/675~725。天武天皇の皇子で皇位に最も近い地位にあったが、天智系の女帝によって立太子を阻止され、皇族筆頭の地位に甘んじた。『日本紀』編纂を掌り養老四年(720)に完成させた。藤原不比等の没後、知太政官事として政治を切り盛りした。没するや太政大臣の位を贈られ、さらにのち実子の大炊王(淳仁天皇)が即位すると祟道尽敬皇帝の号を贈られている。

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