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書紀(5) [序叙]

 本文の脇に万葉仮名で振った訓読が、写本を重ねる中に本文に取り込まれた。それによってわたしたちは8世紀ないし9世紀の人々がどのように読み下していたのか、さらに当時の発音はどうであったのかを知ることができる。 岩波古典大系は、その補注で


  天地剖判の神話
 未剖は准南子、傲真訓の「天地未剖、陰陽不判、四時未分、万生未生」(高誘注「剖判、混分」による)。
  渾沌如鶏子、瞑涬而含牙
 芸分類聚(天部)引用の三五歴紀に「天地渾沌如鶏子」、太平御覧(天部)引用の三五歴紀に「渾沌状如鶏子」とある。溟涬は自然の気。溟はほのかで暗く、よく見えぬさま。涬は音ケイ。水の様子。別訓ククモリテは、ほのかに香などのこもったさま。牙は芽に通じて、キザシの意。太平御覧(天部)引用の三五歴紀の原文には「溟涬始牙、濠鴻滋萌」とあって、溟涬(白然の気)が始めて芽(きざ)したの意と解される。

 と解説している。
 「解説そのものが、さっぱり分からん」という感想は、事実、正しい。
 ただ留意すべきは漢字の使い分けである。
 一つのものが複数になるという意彙を持つ漢字として、わたしたちは普通、「分」「別」「解」のいずれかを使う。ところが『日本書紀』の編者――というより『准南子』の著者――はここで、「剖」と「分」を巧みに使い分けている。
 「剖」は剃刀の刃が気がつかぬほど薄く切り裂く映像をイメージさせ、「分」は個体の分離を意味する。これこそ、中国の人が多種多様な漢字を生み出した理由なのである。一字褒貶の思想が、5万に近い文字の種類を生み出した。
 それにしても「溟涬に牙を含めり」とは何と文学的であることか。

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