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編年(6) [序叙]

 人間が計算を欲するようになったのは、社会に支配と階級が発生したときに始まっている。支配と階級というものは、他人が生み出した生産物の一部を「税」の名のもとで搾取する仕組みにほかならない。そのために誰がいかほどを生産し、その者からどれほどを搾取できるか、定めた量を間違いなく納めたか、不足はないかを調べる方策が必要になった。 さらに支配と階級の仕組みを備えた人間の集団が武器をもって互いに攻伐し、どちらか一方がより上位の支配と階級の関係を築くようになると、つねに戦争に備えるために必要な兵士の数と、その兵士を養う食糧や武器を計算しなければならなくなった。予測と備蓄である。ここに「計画」という概念が生まれ、計算と計画が結びついた。
 紀元前10世紀の中央アジアに「ABACUS」(アバカス)という道具があり、中国には「算木」というものがあった。アバカスは小石を線に沿って滑らせることで、足し算と引き算を行った。計算のために用いた小石は「カウンタ」と呼ばれた。これがヨーロッパに渡り、線を引いた木製の板の上で貨幣に似た小型の円盤を滑らせ、計算を行うようになった。計算尺の原理がこうして生まれた。
 一方、アバカスが東方に伝わったとき、人々は石に根気よく穴を穿ち、そこに木の棒を通すことを考えた。5個の黒石を数えるごとに白石を1つ置く。白石が3つで緑の石を置く。これが十露盤の原型である。しかるにインドで「0」が発見され、これがペルシアやアラビアに伝わって天文学が成立した。
 ササン朝ペルシアやアラビアの民は砂漠の住民ではあったけれども、フェニキアの民と同様、海洋に乗り出して交易を営んだ。彼らは航海を行うために羅針盤を発明し、併せて夜の星や太陽の位置で方角を知った。天文学とはすなわち数学の世界である。ここに数式を理論的に解く技法が発明されていく。数学とは、つとめて哲学的かつ実利的であった。

【補注】


ABACUS 中世ヨーロッパの商人たちは、この計算盤を使って金銭の計算を行った。このために店で勘定を計算するテーブルも「カウンター」と呼ばれるようになった。ちなみにギリシア語で「小石」のことを「カルクリ」(Calculi)という。「計算」を意味する「カリキュレート」(Calculate)という言葉はギリシア語から派生している。
ゼロの概念 紀元六世紀に記述されたインドの数学の書物に登場している。いつ、誰が発想したか明確な記録はないが、ガウタマ・シッダールタ(前563?~前483?)ではないか、といわれる。のちに「釈迦牟邇」あるいは「仏陀」と称される彼は、有でもなく無でもない「空の概念」(色即是空、空即是色)を生み出した。数学的に「ゼロ」は「無」ではなく「空」の単位を意味している。
ペルシア、アラビア人 紀元前後から九世紀ごろまで、世界中を航海した。いわゆるシルクロードの中間点に当り、東は長安を経て日本の奈良、西はローマを経てイギリスのロンドンに至っている。中国で駱駝の唐三彩が作られ、キリスト教ネストリウス派の教義が「景教」の名で伝来した。『千夜一夜物語』はそうした活動の中から生まれた古典文学であって、日本にも七世紀から八世紀にかけてペルシアの王族、アラビア人の商人、工芸師などが渡来していたことが『日本書紀』に見えている。奈良・唐招提寺のあたりは「佐保」と呼ばれたが、これは中国で「薩宝」と表記されたペルシア人商隊のことである。飛鳥から平城にかけて、そのあたりにペルシア人の集落があった名残と考えられている。

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