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編年(7) [序叙]

 計算の用途は、最初は石ころで数をとどめ、羅針盤で方角を割り出すことにあった。中世から近代にかけて、それが貨幣の勘定に置き換わった。
 日本には「銭盤」、「銭升」と呼ばれる木でできた道具があった。地方の民俗資料館などに行くと、その地の豪商、豪農から寄贈された展示物の中に、そういう道具を発見することができる。
 銭一枚分の厚みで丸い窪みがいくつも彫られている。そこにじゃらじゃらと銅の銭を入れる。取っ手を握り、水平に揺すると、その底に一定の枚数の銭が残る。それを何回繰り返したかを覚えておけば、銭の勘定ができる。元始的な計算機には違いない。
 何回繰り返したかを覚えていても、今度は掛け算をしなければならない。人の指は両手で10本なので、10ごとに位が上がるのは至極自然な思考だが、どういうわけか、その単純さを嫌う傾向があった。複雑にすることが高等であるというのは、人類にとってほぼ共通の政治的信仰に近い。
 日本の尺貫法を満足に説明できる人は、こんにちにおいては希少価値に属するであろう。
 硬貨の数え方はさらにややこしい。
 通貨制度がほぼ確立した日本の江戸時代、銅の銭は「文(もん)」と称され、10文で1疋(ひき)、25疋で1朱(しゅ)、16朱で1分(ぶ)、4分で1両という数え方をした。つまり1朱は銭250枚、1両は銭1万6000枚である。
 日本は下一桁が「0」だったからまだよかった。
 ヨーロッパでは12進法、60進法を組み合わせた。ために下一桁に端数が出た状態で桁上がりをすることがあった。それが計算機を生み出した。計算機とは、足し算の結果から桁上がりを自動的に計算してくれる道具であったともいえる。

【補注】


尺貫法 一寸(3.03㎝)を基準に、十寸=一尺、六尺=一間(1.81m)、十尺(3.03m)=一丈、六十間(109.1m)で一町、三十六町(3.297㎞)で一里。一間四方=一坪(3.28平方m)はよく知られるが、一町歩は一町四方ではなく三千坪である。
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