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情報と知識(2) [序叙]

 野生動物において最も重要なことは生命の維持なので、彼らにとっての情報と知識はおのずから食糧を指向する。ヒトにおいても同様だったが、火と水と木と石と土を用いて食糧を加工するという知識を獲得した。 ヒトにとって火、水、木、石、土は自然界の存在そのものでなく、「資源」という位置づけになった。木を燃やして土を焼くと土器が焼成され、土器を用いて煮炊きをし、石から金属を抽出した。
 情報+知識=資源。
 という方程式が誕生した。
 以来、人類は新しい資源を獲得するごとに、新しい社会を生み出してきた。ことに石炭と蒸気機関に始まった産業革命からこんにちまでの約250年間は、エネルギーの時代だった。
 それは動力と言い換えていい。
 人や動物(牛、馬、驢馬、駱駝、山羊、象など)あるいは水といった原始的な動力に代わって、石炭と水が蒸気機関を動かし、石油が主役となり、原子力が発明され、電気が世の中を動かすようになった。こうした物理的な動力の一方、実をいえば知識はさまざまな形で世の中を動かす資源として存在していた。
 原始の時代にあっても、知識は食糧を確保するのに有効だったし、まして戦いに勝利するには欠かせなかった。21世紀において、知識は社会・産業・文化を動かす第4の資源として、ますますその重さを増すに違いない。しからば、それがどのようなきっかけとプロセスを経てこんにちの重さを獲得してきたかを探ることは、決して将来にわたって意味なきことにはならないであろう。
 そのことを語るとき、「文字」という発明を忘れるわけにはいかない。計算器の初源がメソポタミアにあるという定説に準じれば、文字もこの地から世界に伝播したのかもしれない。
 鳥が粘土の上を歩いた足跡を見て、楔形文字が考案された、というまことしやかな説がある。一方、火で焼いた亀の甲や獣骨のひび割れから文字が生まれた、とする説もある。吉凶を占うところから文字が生まれたというのは、「言葉」が「言霊(ことだま)の端」という意味であることに相通じるようでもある。
 亀の甲羅や獣の骨に文字を刻んだことから「甲骨文字」と称される。文字の起源についての想像は、いかにもありそうな話ではある。

【補注】


産業革命 18世紀イギリスに起こったとされるが、蒸気機関や計算機、自動織機などの原型は十七世紀ヨーロッパ大陸に先行して存在していた。イギリスはそれを改良・発展させ産業の実務に適用した。イギリスが産業革命発祥の地とされるのは、機器の発明・改良だけでなく新しい経済の連鎖を作り上げ、そこに理論を発見したことだった。
楔形文字 この文字が解読されたのは、ナポレオンがエジプトに遠征した1799年8月、ナイル河河口のロゼッタ村に建設中の要塞工事現場から出土した玄武岩の碑文がきっかけとなった。そこには前196年に即位したプトレマイオス五世の戴冠式のことが、楔形文字、ヒエログラフ(エジプト象形文字)、ギリシア語で3段に記されていた。このことから楔形文字が解読されたが、もう一つの発見は古代エジプト宮廷ではギリシア語が標準で使われていたという事実だった。発見された碑文石は「ロゼッタストーン」と呼ばれる。
甲骨文字 中国清王朝の末期、国士監祭酒(大学総長)の職にあった金石文研究家・王懿栄(おう・いえい)が漢方薬として売られていた竜骨に発見した。一八九九年のこととされる。王懿栄はマラリアの持病があり、竜骨がその特効薬と信じられていた。彼は粉末しか知らなかったが、劉鉄雲という門弟が粉にする前の骨に文字らしき描線が描かれていることに気がついた。これが甲骨文字研究のきっかけとなった。文字が刻まれた竜骨は漢方薬としてでなく骨董品として高価に売買されるようになったため、商人たちはその利を独占しようと産地(出土地)を偽った。このために研究はしばらく停滞したが、1910年、羅振玉(ら・しんぎょく)が『殷商貞卜文字考』で真の産地は河南省の安陽県小屯村(しゃおとんそん)であると結論づけた。そこで彼はその付近を掘り返した。地中から出てきた遺跡は「殷墟」と呼ばれている。

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